ひので英輔の地域活性化研究会
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ひので英輔の主張
◇◇平成18年書き込み分◇◇

 目次


  今年を表す言葉は「弛み」(12月26日)


  後藤康夫さんの「現代農政の証言」(11月16日)


  経済財政諮問会議は何処に行く(10月10日)


  危機対策は進んだか?(9月18日)


  独立行政法人は、隷属行政法人か(8月15日)


  夕張市、財政再建団体へ(8月9日)


  ふるさとテレビのシンポジウムは面白かった(7月12日)


  担い手新法に対する期待と危惧(6月25日)


  クールビズに苦言(6月19日)


  これでいいのか 大手銀行(6月1日)


  格差社会論の怪!(4月26日)


  行政批判 様々(4月6日)


  金融政策転換の意味(3月19日)


  恥ということ(3月6日)


  喜多方で元気な青年達に会いました(2月2日)


  道徳なき経済は犯罪です(1月19日)


  私の提案は、耕作放棄地解消解消運動(1月3日)




(12月26日書き込み)
(今年を表す言葉は「弛み」)

 私の個人的な感じですが、今年を表す言葉は、国民各層での気の「弛み」、特に、日本社会の基盤をなす中堅層の気の「弛み」だと思います。
 この気の弛み、さらには気持の衰えを根絶するにはどうしたらいいのでしょうか。

 戦後60年、閉塞感さえ強く感じられるこの国を再生するため、規制緩和や市場主義の観点からの見直しと再出発が必要であると思ってきました。
そして、この十年余、規制緩和は飛躍的に進み、また企業内の労働慣行等も一大変革しましたが、この過程で、我が国は、明治以前からずっと大切にしてきたものを失ってしまったのではないでしょうか。

 なくしたものとは、この国の社会、経済界のトップに立つ人というよりも、企業、団体を構成している中堅層が、「努力すれば報われる」のだから自分を磨き、仲間とともにこの企業、団体、そして社会を支え、育てているという自負、気概です。

 堀江貴文や村上世彰の言動、「カネより大事なものはない」、「株主のために会社はある」のだという言葉に逆らえない、ひ弱な我が国経済評論家や企業家、さらには中堅ビジネスマン。株主といっても、短期に売買して利益を稼ぐ株主で、企業を育てる意識は微塵もないことがわかっているのに、マスコミが大いに入れ込んでため、愚かにも、経団連は会員にしたり、政界は何故衆議院選挙の候補者に祭り上げたました。

 こんなことに目を奪われているうちに、耐震偽装問題、損保会社の不払い問題、パロマの瞬間湯沸かし器問題、高等学校の必修科目の履修漏れ問題、タウンミーティング問題等々、企業や団体等の中堅層の「気持の衰えあるいは弛み」から生じた問題が次から次へと発生しました。

 しっかり監視しなかった政府が悪い、総理が悪いとは、選挙時の野党でなくとも、誰もが口に出します。
 しかしながら、政府への丸投げではなく、それこそ「民で出来ることは、民で」の精神で、企業が先ずやるべきことがあります。

 それは、働く人を大事にする仕組みを再構築すること、そして物言う中堅層のモチベーションを大きく高めることだと信じます。
 個人の業績評価を重視しすぎて、中堅層が取りまとめてきたチーム活動にマイナスになったことは明白にだし、終身雇用、年功序列という考え全く無視したため、働く人、特に中堅層のエネルギーを無くしてしまったことも明白です。
 今は、働く人を貸借対照表上の人件費の塊としか見ないところ、アメリカ式経営の悪いところだけが目立ちます。

 無借金経営を誇る企業も多くなりましたが、このような企業でさえも、中堅層や女性を大事にする企業内努力は、企業の競争力を阻害するからという理由で後回しになっているようです。

 「人は石垣、人は城」の文句ではありませんが、日本社会の基盤となってきていた中堅層が気概を取り戻せるよう、企業が基本方針を変えるべきです。

 このクラスの元気回復こそ、本当の我が国の再生がもたらされ、「世界に開かれた美しい国、日本」になるのではないでしょうか。

 団塊世代の個人資産ねらいのプランが横行するだけでは、やはり寂しすぎますね。
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(11月16日書き込み)
(後藤康夫さんの「現代農政の証言」)

 過般、私が最も尊敬する農水省の先輩、後藤康夫さんから、ご執筆の「現代農政の証言」を頂きました。450ページにも及ぶ大著ですが、内容は実に豊富。後輩の私も含め、同時代に生きている農政関係者にとって、実に楽しく、しかしながら、随所でぎょっと考え込ませる本です。

 後藤さんが食糧庁長官時代、丁度今から20年前ですが、このときの米価、食管制度運営などについての記述は、部下として文字通り日夜お仕えした私としては、特に大変懐かしいものがありました。ただ、懐かしいといってばかりいられませんでした。
 この時期は、自主流通米時代の本格的な幕開けを迎え、「市場価格主導の米価形成」への出発でもありましたが、その後どうであったか。後藤さんの思いを後輩の我々が受け継いでチャレンジしてきたかといわれると、本書の「時代の変化と政策形成」を読んで、考え込んでしまいました。


 「食糧管理法」を廃止して「食糧法」を制定する際、私自身、政府側の一員として生産者をはじめ多くの関係者に伝えるべきことをきちんと伝えたかどうか、痛恨の思いが多いのです。

 確かに食糧法制定時、制度的には食糧管理法第3条(生産者の政府への売渡義務)を外すなど大きな変革が行われましたが、一方、将来の米生産流通の姿は十分論議しなかったという思いが今も残っています。
 しかも、自分自身のことですが、農産園芸局長として、担当の米生産調整の意義が大きく変わったことも十分伝えなかったなぁと忸怩たる思いをしてきましたが、本書でまた強烈に思い出しました。

 生産者団体の方々は、今もなお、「国の生産調整に協力している」といっていますが、制度面からみると、これは間違いで、食糧法下では、国は生産者が行う生産調整を認め、これをサポートする役割しかありません。生産調整をする利益、しない不利益は専ら生産者に帰する仕組みになったのですが、この方針転換のアナウンスが当時全く出来ませんでした。


 さて、話が横道に入ってしまいましたが、後藤さんのこの本には、EUの直接支払や農政手法の見直しに関する透徹した記述があります。EUの大きな政策の流れに改めて思いを寄せながら拝読しました。

 そして思うのは、来年度から我が国で実施予定の品目横断的経営所得安定対策の意義です。担い手を育成するとの意気込みは十二分に感じられるものの、だからといって、「品目横断」、「直接支払」そのものの意義が単なるWTO対応ではなんとも物足りないのですが。
(持論ですが、稲作生産者が自立するためには、麦、大豆、飼料作物との複合ではなく、むしろ野菜、果樹、畜産との複合経営を確立しうるかどうかですが、今回の品目横断的経営所得安定対策にはこの視点が欠けています。)


 しかも、この政策では、生産調整参加者でなければ担い手扱いはしない、担い手育成よりも先ずは生産調整達成が大切だとしているわけですが、本書の「米の生産調整(価格維持)にさまざまな政策を結びつけ、政策運営に当たって生産調整の妨げにならないようにすることが至上命題になっているように見えるが、今やその様な足枷からの解放を農政は求めているように思われる」との記述を読むにいたって、本当に考え込んでしまいました。

 米の生産調整は、膨大な潜在的需給ギャップが存する限り、これからも続けることになるでしょう。しかしながら、永続的に生産調整を進めるためには、なによりも「生産者の自主性」に基づくべきです。いやしくも、集落内の明示、黙示の強制を前提とするようなことがあってはならないと思いますが、今回の担い手への生産調整参加要件の付加は、何かこのような過去から続いてきた考えが隠れ見えるような気がするのは私だけでしょうか。

 本当にこの後藤康夫先輩の「現代農政の証言」は大変な著作です。ご一読をお勧めします。出版元は農林統計協会です。
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(10月10日書き込み)
(経済財政諮問会議は何処へ行く)

 安倍内閣が発足して直ぐに取り沙汰されたのが「経済財政諮問会議」の民間側メンバー。そして、小泉内閣での諮問会議のような働きが出来るか等々諮問会議を巡る論議が結構多かったですね。

  経済財政諮問会議は、橋本総理のときに準備され、森総理のときに実現し、小泉総理が活用したもので、実際の効用としては、「政策決定のプロセスから官僚の影響を排除した」とする評が多いようです。

 私には、この諮問会議なるものについていささか疑問があります。
 経済財政諮問会議とは何か。

 この諮問会議は、その時々のテーマを巡って紙上をにぎわせる有識者会議等とは異なり、内閣府設置法に根拠を置くきちんとした恒常的な国の機関です。
 内閣総理大臣の諮問を受け、内閣総理大臣に答申する国の機関ですから、ここまでは普通の諮問機関です。世間では、4民間議員と6閣僚のみが正議員(テーマによって関係閣僚が臨時議員)」であることを大きな特徴とする見方が多いのですが、本当に注視すべきは内閣府設置法で「議長が内閣総理大臣である」としていることです。これは一体何?。これは諮問機関でしょうか。


 総理は、自分を選出してくれた政権与党自民党の政策決定機関に諮ることなく、内閣の重要方針をこの諮問会議を指揮しながら一部の閣僚とごく少数の民間議員で決めるというのですから、「自民党を壊した」という批評は当たっています。この点について好意的な見方をするマスコミは、「政官業の癒着を断つもの」としています。

 私の疑問です。
 第1は、政権与党の政策決定プロセスを無視するのは、おかしいし、もったいないことです。
 政権与党がその代表を選んだとき、白紙で重要方針の決定をも委ねたわけではありません。英国のように議員の持つ膨大な知見を総動員して作ったマニュフェストを政権与党のトップが実施するというのならば別ですが。
 自民党の政策決定プロセスはそれなりに歴史を持ち、議員の持つ才能を活かす場でもありますから、官とのしのぎ合いをしっかりしながら政策形成に参加させることは必要不可欠です。

 問題はどれだけ公開の場での議論かどうかですが、第一線にいるマスコミは密室で政策が決められているとは云っていませんね。

 第2に、少数者が短期間に重要方針を決めると、誤りが多くなるのは分かり切ったことです。特に少数の民間議員に重要な役割を持たせている以上、私には、「政官業の癒着を断つ」なんて絵空事だと思います。

 ところで、この民間議員が、「諮問会議」ですから、期待された?役割に従って総理の提示した方針案をこれはおかしいと論破することが期待されているでしょうか。こんな議員はそもそも選ばれないか、途中で辞めることになります。とすれば、総理の関心に沿って(おもねて)「よいしょ」をするのが民間議員の役割ということになります。


 安倍内閣になり、小泉内閣の時と同様に経済財政諮問会議が専横を振るう?ことにはならないでしょうが、そうはいってもまた元に戻ることもないと云われています。

 我が国は、政権与党が選挙時に国民に提示したマニュフェストを政府を動員して実現を図る英国型でもないし、まして法案、予算を一手に作る議会と大統領がしのぎ合う米国型でもありません。我が国独自の型を作っていかなければなりません。


 いずれにしても、今最も大切なのは、政策つくりを官に任せきりにせず、政党に白紙委任せず、民間の志ある人達、団体等がITを活用して全国の仲間と一緒に政策課題に取り組み、これを立法府に持ち込み、実現を図ることだと信じます。
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(9月18日書き込み)
(危機対策は進んだか?)

 一昨日の新聞一面トップは、「オーム事件 麻原被告の死刑確定」でしたね。
 私にとって、数々あるサリン事件のうちでも、平成7年3月20日の地下鉄サリン事件は衝撃。職場の霞ヶ関にもう少し早く着いていたらと思うと、今でもゾォーとします。
 この年は、1月17日に関西大地震。神戸市内にはなかなか足を入れることが出来ず、地震発生の1月後、関西空港まで飛行機、そこからフェリーで神戸へと行きましたが、ビルは倒れかかっていたり、道があるところでずれ込んでいたりで、まさに驚くばかり。来月この被害を受けた友と旅行しますが、まさに5年前の悪夢でした。

 この10年ほどの間にいろいろなことがおきました。5年前の9月11日米国での同時多発テロ、これと同時期の我が国内初のBSE感染牛確認は、その中でも国民等しく驚愕したものでしたね。
 この二つの事件を私が知ったのは、アフリカのブルキナフャソの地で、パソコン上でした。


 今この10年ほどの間の私にとっての大ニュースを掲げましたが、我が国はこの事件から何を学んだでしょうか。
 セミ専門家である私?の評価は、次の通りです。
(1)オーム事件後、テロ対策は進んだかというと、お寒い話。
(2)関西大地震によって、地震対策の進展をもたらした面は否定できず。
(3)9.11後のアメリカのテロ対策は、かえってテロを世界中に拡散した。   我が国の対策はあまり進んでいない。
(4)BSE事件は風評被害の恐ろしさを決定的にした。対策はまだ不十分と  する者が多いが、これらの者はリスクの程度を考えていない。過剰反応  である。


 これらの事件の外にも、企業環境の激変の中で、様々な偽装事件等も生じ、流行言葉は、「危機対策」、「リスク管理」でした。
 あまり先々を考えず、前途は右肩上がりの楽観論に充ち満ちていた政府、企業団体、個人にとって、自らの発想と分析で危機対策を考えることは時宜に適なっている?と考えます。
 せっかく高い授業料を払ったのですから、我が国社会全般がここらで「事前に危機を見通す」、「危機発生時に被害最小に止める」、「危機の再発を防ぐ」癖を身につけてもいいですね。良くも悪くも、日本人は少し進歩したといっていいでしょう。

 とはいえ、最も大切なことは、危機の中身、例えばリスクの程度を冷静に分析し、受け止めることですが、これが大問題。「科学的に検討したリスク」と「社会が(冷静さを失いながら)認識するリスク」との間には、大きな隔たりがあります。マスコミは、この点を認識せず、未だに数々の風評被害を全く気がつかないふりをしています。

 また、せっかく内閣府に新設された食品安全委員会も、リスクの程度を国民にわかる言葉で知らせませんでした。(専門家が専門用語をふんだんに駆使して書いたレポートは公表されていますが。)
 ですから、自分達が大切なことですよと主張した「リスク・コミュニケーション」を頭から忘れているわけで、風評被害をなるべく小さくするためにも、このような有様では、こりゃー 実に困るわけですよ。


 私は、BSE事件等では、極力科学的に検討されたリスクの程度を基礎に対策を進めるべきと主張してきましたが、それにつけても、本日吉野家の牛丼復活を喧伝するマスコミの姿を見て、慨嘆、また慨嘆。

 「マスコミよ。自ら起こした風評被害には知らんぷりとは、えげつないね。」
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(8月15日書き込み)
(独立行政法人は、隷属行政法人か)

 本日は、終戦記念日で、朝から特別番組が続く。
 最も噴飯ものは、特定の者の戦争責任を問い、マスコミは全く責任無しとのマスコミ論調。田原総一郎さんの「日本の戦争」という本に、「我が国が独裁国家だったら先の大戦はなかった。マスコミに煽動され、沸騰した世論に押され、抵抗できなくなった指導層は、負けると知っていながら、先の大戦を始めてしまった」と指摘した箇所がありましたが、当時も今も事情は大同小異。むしろマスコミの力は格段に増していますし、何しろ今は劇場民主主義の世の中、愚かな意見でもマスコミに乗れば、たちまち多数意見。

 さて、私の友人、知人に独立行政法人の役職員が多いのですが、彼らに最近の独法は隷属法人ではないのかとやや揶揄していうと、皆例外なく「全くその通り」との返事。

 「あぁ やはり」というのが私の思いで、平成11年7月、参議院行財政改革・税制等に関する特別委員会でも私は行政の減量化のためだけの独法化は大問題だと政府側を問い質した事を思いました。

 独立行政法人通則法では「国自ら主体となって直接に実施する必要のないもの・・・・・を効率的かつ効果的に行わせることを目的とする」としており、当初は中央官庁から現業、サービス部門の分離を目的とした筈。

 ところが、その後は特殊法人そのものが独法化されている例が極めて多いのも大いに気になります。マスコミにおもね、天下り防止のためと称して特殊法人を廃止したとしか思えないのです。
 本当にこの特殊法人は独法化していいのか、業務内容を一つひとつの法人毎にチェックした上での結論だったとは思えません。

 制度論はさておき、実態として独法化すると、法人の性格、設立の主旨を問わず、一律に5年間に事業量の5%削減義務がかかったりして、とても主体的に業務の効率化を図る気力など無いのが実態といわれています。

 独法の業務は、実に様々で、公共事業を実施しているもの、試験研究をしているもの、国の施設管理を行っているもの、国の定型的な業務を委託を受けて行っているもの等々で、これらの法人の業務を一律削減し、そして人減らしまでしようというのは、実に「阿漕」ですね。

 この法律違反の措置を強行するのは、「個別審査をしていたら、収拾がつかなくなる。一律に課して始めて実行可能になる」というのでしょう。
 つまりは国の組織を隅々までチェックしてしっかりとハンドリングする自信も能力もないと宣言しているわけです。

 しかも、鬼より怖い?「政策評価・独立行政法人評価委員会」があって、戦々恐々の有様。新規業務は一切認めない、ただ縮減するだけですから、独法はこの委員会の隷属法人です。
 さらには、この委員会によって役員の退職金支払いがストップさせられ、一人ひとりの審査を経てから一年後に支払われた等に至っては、言語道断。天下りストップなら就任時の問題。天下り防止といえば、何でも通るのですから、法治国家もあったものではありません。

 少なくとも、上記委員会は、独法側から業務の効率化等の見地から企図している事柄を聞きとり、それが法の精神に合致しているかどうかを個別に判断し、法の精神に反しないものは認めるべきで、これが出来て始めて「独立行政法人」の第一歩になるものと考えます。


 独法の役職員約7万人のため息が聞こえます。

 いずれ別稿で書くつもりですが、私は、民の力を活用して行政改革は大いにやるべしとの論者です。ただし、行革の理念は、国家像を持ちつつ、無思慮に行うものであってはならず、しかも、「民で出来るものは民で」に加え、さらに「民に相応しいか」との見地から検討するべきものと考えます。このような理念でないと、国家百年の大計を誤ります。

 とはいえ、残念ながら、政党関係者からは、「選挙のためには、エイ、ヤァと公務員削減や行政改革を打ち上げるのが何よりだ。何しろ、こればっかりは公務員サイドからは抵抗がないし、マスコミはこれがないと行革反対とばかり一大批判キャンペーンで、選挙民もそれに乗って騒ぎまくってしまう」との声しきり。

 これでは、先の大戦と同じで、「マスコミは煽る、世論は沸騰。政党人はこれに乗る」で、結果はこの国の行方を誤らしているのでないかと心から案じています。
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(8月9日書き込み)
(夕張市、財政再建団体へ)

 先日、夕張市が財政再建団体としての申請をするとの報道。負債額632億円、基準財政規模が44億円。とても7年以内に収支均衡なんて図れないと云われています。

 夕張といえば、夕張メロンで有名ですが、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」も有名だそうです。私には、夕張、映画と続くと、高倉健さんの「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地だったなと思い出すのですが。


 さて、財政再建団体になることは、イコール自治体の破産、倒産です。
再建団体になると、地方債の発行は厳しく制限され、市民税や国民健康保険料、各種使用料などは大幅アップ、職員の給与は大幅減額、道路や下水道整備はストップといった事態になりますから、予算執行をチェックする議会の機能停止ともなります。
つまり、再建団体になると、自治体として主体的に地方自治を行うことが出来ませんし、引っ越しの出来ない住民は塗炭の苦しみ。

 昨年でしたか、東北地方のある有名だった知事が、自分で放漫経営をした上、「財政再建団体になることは地方自治の危機。だから、地方自治の危機を回避するために人件費カットに協力を」と職員組合に説いていたのを聞いて、吹き出してしまいました。財政再建団体になったら困るのは、「地方自治がなくなるから」ではなく、住民が困るからですよ。住民は簡単に引っ越しができませんから。

 何故自治体の破産が起きるのでしょうか。
夕張の場合、この四半世紀に人口が10分の1に減り、産炭地を観光地にするため市が主導的に財政出動したが、うまくいかなかったというのですが、問題は何故こんな負債額になって始めて事柄が明るみに出たのかです。

 夕張市のごまかしの手口はこうです。毎年、一般会計の一時借入金で特別会計の赤字を埋め、出納整理期間中に翌年度の予算の歳出から償還するなどの自転車操業的な会計処理を繰り返したというものです。

 このように大福帳会計の市会計を一部の人が謀ってごまかし続けてきたのですが、一般会計、特別会計を連結し、発生主義に基づく企業会計方式が導入されていたら、こんなごまかしは出来なかった筈です。(こういうと、公会計に企業会計論理を入れるのは無理とか、慎重に検討すべきとか理屈を言う人が多いのですが、すでに先進的な自治体で実施しているのです。)勿論、首長の経営能力に問題があったうえに、議会のチェック機能が働かなかったことは紛れもない事実ですがね。


 だから、この際必要なのは、自治体の破産法制を整備し、特定の財政指標から破綻に至る前の事前チェックをする仕組みを採るべしという前に、国として自治体に対し、
第1に、企業会計がわかる住民や議会ならきちんとチェックできるよう、会  計方式を基本的に企業会計に変えること
第2に情報公開を徹底すること
第3に外部監査を本格的に導入すること
を強力に指導することが何よりも肝要です。

 基本は、自治体経営をわかる人が首長になることですが、まぁ これは無理でしょうネ。

 話は飛びますが、今から30年前、かのニューヨーク市が市債を金融機関が引き受けないという破産一歩手前の事態になったそうです。だからといって、「自治体破産でビックリしなさんな」というわけにはいきません。

 政府は先般策定した「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」、いわゆる骨太方針で、来年度の予算策定の方針だけでなく、中期の方針として、2010年代初めにプライマリーバランス(基礎的財政収支)を均衡させるとの目標をたて、成長を高めるのは当然として、支出の徹底的削減と消費税のアップをうたっていますから、地方交付税の削減も必至です。
国の財政に依存した施策は、極めて困難になります

 そうなると、自治体の長は、収入に見合った事業費、人件費となるよう、「民で出来ることは、民で」のモットウの下、例えばPFI方式、事業の外部委託や施設の民間委託、地域の問題はエコマネー方式などで極力地域で処理してもらう仕組等を大幅に導入するしかありません。

 そして、基本的には、自治体の長は、住民の方々が気が付いていない、地域の優れた資源(祭り、行事、風物コミュニティ等々)を地域で再認識して頂きながら、収入に見合った事業執行を通じて「住んでいて良かった地域」としていくしか途はないと信じます。

 最後に、気の利いた首長さんは、よく「住民参加の地方自治にする」とおっしゃいますが、私は、企業会計と情報公開を進めていけば、遠からず「住民主導の地方自治」の時代になる、つまり住民が首長に地域経営を丸投げしないで自分で考える時代になると期待していますが、甘いですかネ。


 読者諸賢は如何考えますか。

 今私は、「地域経営学」の原稿を取りまとめています。
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(7月12日書き込み)
(ふるさとテレビのシンポジウムは面白かった)

7月7日、有楽町の読売ホールでふるさとテレビ1周年記念のシンポジウムが盛大に挙行されました。
私のライフワークは地域おこしのお手伝いです。
だから、地域活性化研究会を立ち上げ、NPO(特定非営利活動法人)のふるさとテレビを設立しました。

このふるさとテレビの設立1周年記念として、読売ホールを貸し切って大シンポジウムをやろうと理事の間で話し合ったのは5月始めでした。私は理事長ですが、副理事長の角廣志氏の実に精力的な働きと理事、顧問の方々のご支援によって無事シンポジウム開催にこぎつけ、500人以上の参加者を迎えて成功裡に終えることが出来ました。

シンポジウムは、第1部が行革の鬼といわれた水野清先生の基調講演、第2部が島田晴雄先生がコーディネータをされたパネルディスカッションでした。

水野先生の基調講演は、予定時間を大幅に超えた熱っぽいものでした。今地方公共団体の財政危機の大きな原因として、近年の景気停滞期における国の景気浮揚策に付和雷同的に追随した地方公共団体側の対応があったこと、これからの地方活性化は地方自らが発想し、これを実施することが肝要であるなど、多くの事例をひきながら話され、参加者に感銘を与えました。

島田先生がコーディネータを務められたパネルディスカッション「今、これからふるさとが面白い。ふるさとの元気を語ろう」は、一転して実に楽しいものでした。
パネリストは、アン・マクドナルドさん(宮城大学助教授)、大竹美喜氏(アメリカンファミリー生命保険会社創業者)、梶原拓氏(前岐阜県知事)、甲斐秀治氏(全国ふるさと大使連絡会議代表幹事)、桂由美さん(ユミカツラインターナショナル代表取締役社長)、黒岩祐治氏(フジテレビジョン キャスター)、嶋津昭氏(元総務事務次官、市町村アカデミー学長)というあまり他に類を見ない各界のオピニオンリーダーが一堂に会したものでした。

アンさん 「心のふるさとを持とう」、「市町村合併の中に危惧感あり」
大竹さん 「地域はオンリーワンをつくるべし」、「地域をかえるのは人。人を育てる必要」、「ふるさととつくりにに国民栄誉賞を」
梶原さん 「ふるさとの発信力を持たせよう」、「地元にある歴史から作り出 す」、「ふるさとテレビ内にふるさと塾をつくり、地域の良さを発掘する人材を育てよう」
甲斐さん 「ふるさと大使」、「ふるさと映画を作ろう」
さん 「恋人の聖地つくりに支援を」、「画一的でないふるさとウェディングを目指そう」
黒岩さん 「地域のらしさを出したマグネット運動こそ地域活性化のカギ」
嶋津さん 「団塊の世代にふるさと回帰を支援する運動が始まってます」
等々

味わい深いお話が島田先生の軽妙なリードの下で次々と披露され、時間を忘れるほどでした。

ここでハッとしたのは、各パネリストの方々が話したことは、私の持論と全く同じだったこと。
つまり、地域おこしの基本は、地域に住む方のやる気が出発点地域の良さを(外の人の発想を用いてでも)自己発見することが大切。様々なタイプの地域おこしがある(ワンパターンを排せ)などです。


この一年間、私が理事長をしているふるさとテレビは、
 @知名度を上げること
 Aふるさとについての最も有名なポータルサイトにすること、
 Bふるさとの生き生きとした情報を引き出し、地域おこしに役立つこと
を目指してきました。
2年目は、これをさらに加速するとともに、このシンポジウムでのご提言などを踏まえて戦略目標をつくるつもりです。

皆さん、ご支援下さい。ご参加下さい。
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(6月25日書き込み)
(担い手新法への期待と危惧)

一寸旧聞に属しますが、14日、担い手経営安定新法、改正糖価調整法、改正食糧法の農政改革三法は、参議院で可決され、成立しました。

なにしろ、この担い手経営安定新法は「戦後農政の根本見直し」とのふれこみで議論されてきたことは、御案内の通りで、さて可決してみると、やはりこの法案の大きさと問題点が浮き彫りされています。
 
読者諸賢の多くはこの法案に関心を持っておられるでしょうから、本稿では解説めいた期待感を縷々述べることは避け、私が聞き、考えたことを二、三率直に記してみましょう。

第一にこの担い手新法の意図するところ、つまり上からの改革を進めるための現場での機関車の数も、馬力も足りません。大方の市町村は合併問題や財政危機で、これまで以上に現場に入っていないし、JAはこれまでになく積極的ではあっても、これも合併の後遺症がくっきり。肝心の国の農政事務所も大幅な定員減になるのではと危惧しています。

第二に今構造改革を進めなければ明日の農業・農村はないとの意識は、多くの現場ではまだ薄いと見ています。私見ですが、現場で自発的に「耕作放棄地をなくす運動」、「○○地区農業の付加価値を高める運動」、「生消連携の新しい農業をつくる運動」等々が続々と生まれてこなければ、生産者が危機に立ち上がったとは云えないと思います。
上からの農政改革の声は、そのまま現場には伝わりません。

第三に、7月半ばには担い手農家に支払う助成金の単価などを決定すると報じられていますが、この財源確保が大問題。今与党内では、2011年にプライマリーバランスを確保するとすれば、11兆円とか14兆円とか、さらに歳出削減が必要と論じられていますから、中期的には財源確保は至難の業でしょう。政府も、生産者団体も、現場に対し、勇気を持って「助成金目当ての担い手確保志向の排除」をいうべき時期です。

 なお、この農政三法の国会審議の際、民主党は、例によって全ての農家への1兆円の直接支払いを主張していますが、これは噴飯もの。
これによって、さらに、農産物自由化怖れるにたらず、自給率100%確保可能といっているのですから、恐るべき暴論。


最後に、私が今抱いている悪夢は、地域によっては、現場ではリーダーも生まれず、自ら工夫し行動することもなく、ただ助成金等への不満から、上記のような補助金バラマキ論に賛意を表する人が出てくるのではないかということです。
これでは、このような地域では、「戦後農政の根本見直し」、すなわち「地域農業の担い手となる農業者の存続と農業立地」が成功しなかったことになるからです。


私は、かねてから構造政策急発進には、心配族です。
方向が間違っているとは全く思いませんが、現場の力が表に出るまでには、なにしろ時間がかかります。
ですから、「国内農業を再生させるラストチャンス」といわれるこの時期、現場の潜在力が一日も早くしっかりと表に出ることを心から期待してやみません。
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(6月19日書き込み)
(クールビズに苦言)

日一日と暑さが感じられる今日この頃ですが、それと同時に例の「クールビズ」の姿もテレビでぞろぞろ出てきました。
この姿ですが、私には、みっともない姿にしか見えません。

先日内閣府を訪ねる機会があって若手姿にあんぐり。シャツをズボンから出していましたよ。
上着とネクタイ付きで訪れたこちらが途惑い、かえって違和感を感じさせたかなと思ってしまいました。

「クールビズ」は、確か昨年地球温暖化対策の一環として小泉総理や環境庁が乗り出したもので、上着とネクタイをとると、室内温度を2度は上げられるとのこと。
でも、上着とネクタイをとるといっても、ただとればいいというものでもないでしょう。
ファッションは、文化。
室内温度を下げないために上着とネクタイをとることだけを推奨した日本の役所の認識はファッション文化を冒涜していると憤慨している人、いませんか。

そういえば、フィリピンなどでの夏の服装、洗練されており、文化と歴史を感じさせます。沖縄のかりゆしは、オーダーメイドものなどを見ると、すごくいいですね。
今のクールビズは、どう見てもファッションに対する中高年の認識の低さ、文化の低さを表しているのではないでしょうか。
格好の良いクールビズ、デパートの宣伝ものではないもの、出てきませんかねぇ。

かくいう私は、今から30年ほど前、大臣の鞄持ちをしており、大臣とおそろいの省エネルックを着用に及んでいましたが、当時「南ヴェトナム(ヴェトナムの方には大変失礼ですが)の敗残兵のようだ」の一言で着用をやめ、この省エネルックは大流行にならずでした。
このような思い出もあるので、よほど格好の良いクールビズが出現しなければ、私は古色蒼然たる服装?でこの夏を過ごすことになります。
時代遅れになりそうな私の感想です。
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(6月1日書き込み)
(これでいいのか 大手銀行)

 先日、ご覧になった方も多いと思いますが、この2006年3月期のメガバンク(三菱UFJ、みずほ、三井住友)の連結決算が最収益2兆5千億円、これにりそな、住友信託、三井トラストをくわえた大手銀行6グループの最終益は3兆1千億とバブル期を上回る過去最高となったという報道がありました。たまげました。
 これは、不良債権処理も大方終わり、融資先の業績回復で過去に積んだ引当金が利益として戻ったため等としています。

 ところで、この十数年で大銀行の合併が進み、今「昔のあの銀行は、今なんといっているだっけ?」という疑問をいつも持ちます。これは脱線。
 
 さて、冒頭の連結決算についてマスコミは概して辛口で、某週刊誌は「メガバンク史上最高益の裏で個人客はカモにされている」とまで書いています。
 そういえば、本欄の3月19日書き込み「金融政策転換の意味」でも触れましたが、10年以上に及ぶ超低金利の下で、家計は280兆円損し、企業の負担は260兆円軽減されたという推計値もありましたよ。あぁ、あぁ。

 メガバンクを始め金融機関の方々に申し上げたい。ここらで本当に利用者を向いた経営をしてもらいたいのです。

 貸し渋りと貸しはがしは、まだまだ健在?だし、中小企業や新規企業は後回し、裕福な個人は相手にするが一般人には知らんぷり。

 今各地で行政が地銀と一緒になって起業促進のための金融融通を図る第三セクターの活躍ぶりなどが報道されています。これはこれでいいのですが、中小企業の起業促進や経営支援、再生支援など、これを大手銀行は大々的にやって欲しいですね。ノウハウはあるし、カネもあるのだから、あとは志と勇気だけ。

 金融機関のうち、知人が多い金融機関は農林中央金庫ですが、このところ新規就業者対策や再生支援などで次々と新しいアイデァが打ち出されています。喝采を送っていますが、現場の農林漁業者のための金融機関であるという原点をいつまでも持って頂きたいのです。
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(4月26日書き込み)
(格差社会論の怪!)

 先日新聞を見ていたら、時事川柳として「列島に格差社会の靴の音」という句が紹介されていました。大向こうから、「うまい」とのかけ声がかかるような気がします。

 この「格差社会」についての報道は、実に様々で、「小泉内閣の5年間に確かに格差が広がったのだから、これを是正する必要がある」、「格差社会を喧伝することは、改革を止めろということで、けしからん」、「またまた結果平等に戻れというのか」等々。

 ところが面白いのは、この格差社会論にたまりかねたのか、日本経済新聞は、先般連載記事「格差を考える」で、わざわざ経済学で用いるジニ係数(所得格差を示す指標)を分析して格差社会は「先走る印象論」と結論つけているのです。

 私には、この日経の主張に肩を持つわけではありませんが、民主党等野党が小泉内閣を攻撃するためだけに格差社会論を振り回すことの愚は強く感じます。では格差拡大があるとして、これをどの様に是正するのか、政策を主張しなければなりませんが、これが未だ出ていないのですから、私には「ああ、いつもの政府攻撃か」と感じます。残念至極。


 私の懸念は、格差社会でも、「地域格差」です。
 勿論、県民所得の格差も心配ですが、それ以上に下水道、医療機関などの生活基盤の整備水準の格差の方がさらに心配です。
 最近は、「ナショナル・ミニマム」という言葉が死語になったようですが、私にはなんとしてもこれは容認できません。

 中国専門家は、中国の格差社会ぶりを「沿岸部はヨーロッパ並み、農村部はアフリカ並み」と評していますが、中国の古代文化へのあこがれが心底にある日本人にとってただ呆れ果てるばかりです。

 とはいっても、中国の現状を云々するまでもなく、21世紀の我が国の課題は、人口減少下で豊かさを実感できる社会の構築でしょう。
 地域格差の縮小こそ、この政策の帰結。しかも、ふんだんに公共事業費を使うのではなく、民の力を活用する手法が今おずおずと実施中です。政治の責任は、この民の力を活用する勢いをつけることだと思っています。
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(4月6日書き込み)
(行政批判 様々)

 最近は益々行政批判が強まっていますね。
 私も行政マンでしたから、人一倍気になります。

 新聞報道によれば、2011年度には財政収支黒字化を図る、そのためには今後6兆円から20兆円の歳出削減を図る必要があるとの自民党内の研究会の議論があるといっています。
 財政再建のために増税路線を採る前に先ずは歳出削減、そのためには行政の無駄を指摘するのは読み筋です。ですから、何でもいいから行政の無駄を指摘して国民に行政への不信感をドシドシ募らせることもまた読み筋か。
 残すものはこれ、改善すべきものはこれ、廃止するものはこれという議論は当世流行らないようですが、この議論をしっかりとしないで良いのでしょうか。本当に心配しています。

 さて、最近世間で騒ぎになっている行政批判について考えさせられることが続きました。


 先ず第1は、電気用品のPSE騒ぎです。電気用品の販売業者である自分達は法律改正を知らなかった、経済産業省がけしからんというのですが。

 実は、平成13年に電気用品安全法改正法施行され、原則としてPSEマークが付いているものしか販売できないことになっているのですが、経過規定として品目毎に5年、7年、10年という販売猶予期間が決められており、先ずは5年目のこの3月31日にテレビ、冷蔵庫等の販売猶予期間が終了するというものでした。

 このように実は5年前に決まっていた。あれ、あれ!
 こんな話を知らなかった販売業者の方々、大丈夫ですか。
 でも、周知に手抜かりのあった?経済産業省が悪いのでしょうかね。


 第2は、新聞の特殊指定の見直しを巡る騒動です。
この話は私にもよくわからなかったので、注意深く報道に接してみますと、意外なことに遭遇します。

 御案内のように、独占禁止法は不行性な取引方法を用いることを禁止しており、公正取引委員会は不公正な取引方法として全ての事業分野が対象の「一般指定」と、6つの事業分野を対象にした「特殊指定」を定めていますが、この特殊指定の内容として「新聞発行本社が行う地域又は相手方により異なる定価設定や値引き行為」等を禁止するという仕組みになっています。(ここまで話を進めてようやく特殊指定なる言葉が出てきました。)

 さて、新聞にこの特殊指定をはずすと、乱売合戦になって戸別配達網が崩壊するおそれがあるという新聞業界や政治家、知識人の方々。再販制は維持されるのだし、そもそも新聞業界のみが多様な価格設定を原則禁止されるのは合理的な説明がつかないとする公取委。

 まだよく理解できません。
 実際のところ、新聞側が(不当な)価格設定をしなければそれで話は終わりな筈。新聞業界は自信がないと云っているように聞こえますが。
 でも、結局は、この特殊指定自体がそもそも間違いだったといわんばかりの公取委の態度が問われているのでしょうかね。


 第3は、アメリカ産牛肉の再輸入に係る食品安全委員会の委員辞任騒ぎです。
 これも報道でしか知りませんが、委員の一部がアメリカ産牛肉の安全性について慎重に検討すべきであったのに、政府は委員会に結論を急がせ、アメリカの圧力に屈して日本政府が再輸入を急いだのはけしからんので、辞任するというのだそうです。一方、委員会の事務局は委員の定期の異動の中での話で、辞任ではないとしているようです。

 でも、アメリカ側からの資料提出が遅れた等私も憤慨しているのですが、それにしても食品安全委員会のこの問題の検討は、3週間に1回のペースで行われたとか。どうも委員会の中心の多くの科学者は、時間の観念がないようです。
 委員会も行政機関の一つ、時間の概念のない行政は、論外。
 委員会の事務方の怠慢でもあります。

 そもそもこの委員会は、我が国の牛の全頭検査についての科学的根拠を示しているのでしょうか。(私が委員会のホームページを捜した限りでは見あたりませんが、もし既に示しているというのであれば、どなたかにご教示頂きたいのです。)そして、この見解は、国際的な評価を受けているのでしょうか。

 「リスクが極めて小さい」と「リスクはゼロである」とでは、全く違います。あえて独断的に云えば、辞任騒ぎを起こしている方々は、「アメリカ産牛肉のBSE感染のリスクは、ゼロではないが、極めて小さい」とは怖くて云えないので、アメリカの圧力に負けた政府がけしからんと云っているのではありませんかね。

 しかしながら、食の安全問題では、限りなく「リスクゼロ」を求める消費者に対し、科学者は「許されるリスク」を説くべき義務があるのではないでしょうか。ここに科学者の存在の意味があると思います。 



 以上いろいろと述べましたが、つまりは、行政の責任を問うことの難しさを少しでも感じてもらいたいというのが元行政マンの気持なのです。


 本稿は”暴論”を申し上げましたが、読者諸賢は如何考えますか。
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(3月19日書き込み)
(金融政策転換の意味)

 9日、新聞の第一面には、日銀の量的緩和の解除決定の活字が踊りましたね。でも、ゼロ金利政策は当面維持するともいっているのだから、素人にはわかりにくい話です。建前的説明ですが、金融政策の誘導目標を資金量から金利に戻すのだそうです。
 それはともかく、1991年(平成3年)から続いた低金利によって、仮に91年当時の金利が続いたとしたら、
 家計は、280兆円の利益を失った
 企業は、260兆円の金利負担を減らした
 金融機関は、利子所得を95兆円を増やし、100兆円の不良債権処理をした
計算になるとマスコミは報道しています。

 それでは家計が低金利政策の最大の犠牲者ではないかという疑問が出ますが、これにも答えが用意されており、金融緩和策が経済を支えたために失業の急増などを防いだのだから、そうともいえないのだそうです。本当かな?

 ともあれ、ようやくバブル崩壊後の金融政策が基本に戻りつつあるとは云えそうですが、本当にこれまでの超低金利とカネ余りに慣れた日本経済は上手く適応できるのでしょうか。長いこと今の金融が当たり前になっていると、上手く企業も対応できるかどうか、門外漢ながら心配しています。


 もっとも、私の関心事はこのような日本経済全般の行方ではなく、只今のところ、漁業信用基金中央会の仕事に関係して、運用利回りの低迷に泣いている各基金協会の財政はよくなるのか、金利が上昇して漁協信用事業は今よりもさらに不活発になるのではないか、しかも政府のいうとおり政策金融が縮小されると、経営基盤の脆弱な漁業は系統金融のみで金利上昇時代を乗り切れるのか等々、次々と考えるべきことが浮かびます。


 金利上昇期を迎える今、個人も企業も団体にとっても、キーワードは、「自己責任」と「構造改革待ったなし」でしょう。
 財務運営のあり方の検討は、必然的に組織運営全体の見直しを促しますからね。
 我が家も家計の状況から見て現在の暮らしぶりを変える必要はないかのかどうか、我が企業、団体も今後の財務見通しからして、事業の再構築をする必要がないかどうか等々、勇気を持って取り組む必要があります。
 

 なお、話は少し飛びますが、今公益法人制度の大改正のための関係法案が今国会に提出されています。内容を述べるのは本稿では差し控えますが、今までのように社団法人や財団法人が国や県の政策実施機関としての位置付けを薄くする政策意図が感じられます。
 さあーこうなると、これから現在の公益法人は、金利上昇期に自らの運命を決めなければならないことになるなと考え込んでしまいます。

 
 読者諸賢の中には個人資産をしっかりとお持ちの方もおられるでしょうから、そのような方々は個人資産を如何に安全にかつ有利に運用するか頭を悩ましているかもしれません(私もその一人になりたいのですが、幸か不幸か、該当者ではありません。)が、今すぐ金利の上昇があるわけではないようなので、あわてることはありません。この辺で家計全般、自分や家族の将来をじっくりとゆっくりと考えましょう。

 私は金利の動向を心配する必要はありませんが、只今高齢化へまっしぐら、やはりこの辺で家計や自分の生き方、家族の将来等を考えようというのが最近の心境です。少し遅いのですが。
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(3月6日書き込み)
(恥ということ)

 堀江メール騒動には呆れ果てました。
 何故こんな話になったのか、評論家諸氏は口角泡を飛ばして論じていますが、私には全く本元を話していない感がします。

 根本的な原因の一つは、与党と民主党には基本的な政策の差がありませんから、野党である民主党が存在感を示すとすれば、揚げ足取りしかありません。
 例えば、民主党は、耐震構造偽造問題は元国土庁長官の行政への関与の問題にしてしまい、BSEは米国側のお粗末な対応を日本政府の問題にしてしまいましたね。いずれも基本問題には、関心無し。マスコミと全く同じです。
 つまりは、この偽堀江メールを使ってスキャンダルにして自民党幹事長の首を取る、究極の揚げ足取りをとろうして空振ったというわけです。
 我が国で本格的な二大政党時代到来のためには、野党の揚げ足取りが必須だと信じているのでしょうか。何とも暗澹たる話だし、第一政策提言しないなんて、政党として、国会議員として恥ずかしくありませんかねぇ。


 さらなる根本的な原因は、発言した議員もそうですが、民主党の幹部が「恥」を知らなかったことです。残念の極み。
 「堀江メールが偽物であるという確証がないうちは、これを与党関係者の攻撃材料に使っていい」という判断は、全く逆で、本物との確証があって始めて公党として使うかどうかを判断する筈のもの。
 「自分が議員を辞めると、代表が辞めざるを得ない。代表の代わりがいないので、党のために辞めない」という態度は、国会議員という立場を忘れてしまっています。

 本当に恥ずかしくないですかねぇ。


 先日あまりにも評判が高いので、藤原正彦さんの「国家の品格」という本を買って読んでみました。題名が題名ですから、さぞかし難解なものと思っていましたが、平易な表現で、一気に読むことが出来ました。
 この中にもありましたが、かつて日本人は「恥を知ること」を最も上位の行動規範としてきましたし、今でも多くの方々の信ずべき規範になっていると信じます。

 もっとも、ここまで書いて、急ぎこれまでの自分の行動をあれこれ考えるのです。
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(2月2日書き込み)
(喜多方で元気な青年達に会いました)

 先月末、福島県喜多方市を訪れました。
 喜多方で元気に地域活動をしている青年達と話し合うためです。
 喜多方というと、ラーメン(ラーメン屋が120〜30軒!)と蔵のまち(蔵が2,600!)で有名ですが、今ラーメンと蔵を超えるまち作りを志向していると聞いていました。

 そこで私は、地域活性化研究会そのものの活動というよりは、ふるさとテレビの活用を勧めにお邪魔したわけです。

 ふるさとテレビは、このホームページ(http://www.furusatotv.jp)上にふるさと自慢の情報が掲載されています。仕組みは、リポーターの方がデジカメで撮った画像をメ−ルに添付して事務局に送って頂くと、無料でホームページに掲載してあげようというものです。
 ふるさと自慢情報は、お祭り、行事、産物、風物、地域ブランド何でもよし、リポーターも個人でも団体(企業、地方自治体、農林漁業関係組合等)でもいいのですから、リポーターの気持次第で活用方法が変わります。


 喜多方の青年の方々には、こんな話をしながら、現在の気持をうかがいました。
「青年会議所の仕事としても、ふるさとテレビの活用はいいテーマだと思う」
「新しい市も出来たことだし、合併後の住民が一体感を持つためにはどうしたらいいか、ふるさとテレビはこのために使えないかな」
地域ブランド作りって、一体どこからてをつけたらいいのかな」


 喜多方は、この1月4日に一市、二町、二村が合併して新しい喜多方市が誕生しました。人口56,000人、面積56,000ヘクタールの新市、これからどんな市になっていくのか、楽しみながら見守って生きたいと存じます。

 ところでラーメン美味しかったですよ。
 皆さん、喜多方へいってみっぺ。
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(1月19日書き込み)
(道徳なき経済は犯罪です)

 このところ、またまた一大騒動開始。
 ライブドアの堀江氏に対するマスコミや経済界の評価は、たちまち一変。
 そして昨日は東京証券取引所の全銘柄取引停止!

 随分めまぐるしいですね。

 近年、株価は大きくうねりました。
 日経平均株価は、平成元年(1989年)12月29日に最高値38,915円を付けた後、下がり続け、平成15年(2003年)4月28日には最安値の7、607円、そして昨年になってぐんぐん上昇。

 株価の変遷で明らかなように、日本経済の空白期間も14年に及びましたが、この期間中に「選択と集中」の名の下に、過剰な事業、雇用、債務の大幅な削減が進められ、閉塞感が国民各層に重く漂いました。

 だからでしょうか、マスコミに登場する経済の主役が変わりました。
 そして、経済における倫理感を無視する風潮が極端に強くなりました。
「企業は、株主のもの」(この株主とは、企業を育てる株主ではなく、株価を脱法すれすれの手法で上げて売り抜ける短期金儲至上株主のことです)
「法律に抵触しなければ何をしていい筈」
「脱法行為でも実行する勇気があればこれを評価すべき」
「とにかく人が遠慮して手控えてきたをことをして金儲けをすれば勝ち」

 ホリエモンが経済界の寵児としてもてはやされただけでなく、政界リーダーが人気があるというだけで政界に進出させようとしたり、最近ご本人はバラエティ番組にしばしば登場するに至りました。

 このマスコミや政界、財界主流が手のひらを返したような酷評。
 経済における倫理を全く評価しなかったマスコミの方々、そしてこれに乗った政界、財界の方々、恥ずべきです。
 倫理感を忘れた構造改革は、長い目で見ると、我が国の将来を危うくすることに気がつかないのでしょうか。私にとっては、極めて不思議です。

 近時このような思いが募っていたところに今回のホリエモン騒動第二幕でしたが、このような思いは私だけではないようで、最近随所で「道徳なく経済は犯罪、経済なき道徳は寝言」だといった二宮尊徳の言葉の引用が目立ちますね。

 今回の騒動で経済における倫理の重要性が再評価されれば、ホリエモンも、もって瞑すべし?でしょうか。
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(1月3日書き込み)
(私の提案は、耕作放棄地解消運動)

 昨年の私の地域活性化研究会への相談ごとの筆頭は、JAや市町村の担当者からの担い手作り問題でした。すなわち、品目横断的経営所得安定対策の実施に当たって交付金の対象となる「担い手」の要件をどの様にしてクリアするか、でした。
 認定農業者にあっては、北海道で10ha、都府県で4ha、特定農業団体又は特定農業団体と同様の要件を満たす組織で20haというのですから、中山間地域の特例などもありますが、かなり高いレベルの交付要件です。

 相談の多くは、認定農業も特定農業団体もないし、集落営農も未だ組織されていない地域からです。農水省側は、「特定農業団体に準ずる集落営農だってご推奨ですよ。原則は変えないが、特例はあるし、個別の生産者が集落営農体に所有権や利用権を譲渡しろといっているわけではないし、販売だけは名義を統一してもらうだけだから何とかなるのではないの」といっています。

 特定農業団体に準ずる集落営農体作りの最大の難関は、機関車役は誰か、です。

 私は相談してきたJAや市町村担当者には、こういっています。
 自分達が声を枯らして集落営農体作りを呼びかけても生産者がついてこないときは、「耕作放棄地はこの地域の恥、農業界の恥だから、この解消を始めようと、かつてない規模で参加を呼びかけたら如何ですか」と。

 今の時代、「国は要件に合わなければ交付金を出さない。国の政策に乗ってなんとか集落営農体を作ろう」では、現場ではなかなか進まないでしょう。確かに、担い手をこの時期に作らなければ農業の将来はないとして悪戦苦闘しておられる関係者の方々のご苦労は、生産者自身がよくわかるのでしょうが。

 平成17年で耕作放棄地38万haで、今後も着実に?増えるでしょう。
 現在の農業の衰退ぶりは耕作放棄地に現れています
 国民に対し、農業サイドから農業の重要性を説き、理解を求めるなら、耕作放棄地解消は国や地方自治体がやることだ、では済みません。農業界は、今までこの問題を故意に看過してきたような気がしてなりません。

 このような思いから、耕作放棄地対策を現場の知恵でやろうと呼びかけたら、如何ですかと申し上げたのです。呼びかけやすいし、呼びかけ人の地域リーダーへの変身?も大いに期待できます。

 耕作放棄地の解消目標とその手段を検討する過程で、苦し紛れにもなるでしょうが、様々なアイディアが出ますね。この実践の中で、新しい集落営農体作り、新しい作物の導入、地域リーダーの出現などが期待できます。そして、結果として、担い手交付金を得ることが出来れば云うことなしですし、交付金の対象にはならなくとも、確実に地域農業の地力がついたことになりますね。

 「急がば回れ」で、「国の政策に乗ろう」というのか、「地域の誇りを取り戻そう」というのか、どちらが現場の人を動かすことが出来るか、明らかです。

 新年にあたり、耕作放棄地が地域の恥、農業界の恥とは過激すぎるでしょうが、これも農業を愛するあまりの発言ですから、ご容赦下さい。

 「農業政策は国から与えられるものではなく、現場の発想、工夫が原点にならなければならない」とは、永年私が現場の方々からいつもいわれてきたことですが、今こそこの言葉を現場の方々が実践すべきときだと確信します。
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