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その時々の思いをお伝えして参ります。
元気で書き込んでいきます。
平成19年書き込み分
平成18年書き込み分
目次(平成20年)
WTO閣僚会合は妥結ならず(8月2日)
おまじないのような公務員制度改革論に失望(5月28日)
地方の改革は進む(4月8日)
最近の行政改革の方向は本物か(2月20日)
農政の基本路線は変わったのか(1月12日)
(8月2日書き)
(WTO閣僚交渉は妥結ならず)
7月29日、スイスのジュネーブで開催されていたWTO閣僚交渉は決裂。ご存じ方も多いと思いますが、この交渉、2001年11月から始まって7年続いています。私も議員時代非公式閣僚会合に出席したことがあるので、何故このように長く交渉が続くのか、私見を述べてみましょう。
第1に、交渉は表向き少数国で進められますが、妥結するときは150カ国の全会一致で決めるルールです。ですから、利害が錯綜していてこれがなかなか全会一致になりません。
第2に、先進国と開発途上国との対立、輸入国と輸出国との対立が熾烈で、WTO事務局がとりまとめ役ですが、このまとめ役の言うことを各国の閣僚はハイそうですねとは聴きません。閣僚は政治家、皆国内を見ていますからね。
第3に、農業交渉がいつも焦点になります。ところが交渉は先進農業国(輸出農業が盛ん)と途上国(食糧農産物輸入国だったり、生業としての農業だけが存在する国だったりですが)の対立です。これはなかなか勝負がつきません。国益を賭けた、異なる価値観のガッチンコ勝負です。
第4に、私の偏見かもしれませんが、WTO交渉担当閣僚の多くは10年来これ一筋です。プロ集団です。このような閣僚が、自分の政治家としてのキャリアーを賭けているのですから、発言は長く、そして議論は熾烈です。(我が国の毎年のように替わるような閣僚はこの議論に入れません。残念ながら)
今回の閣僚会議の決裂原因が、かねて問題視されてきた「重要品目」ではなく、セーフガード(緊急輸入制限)であったと聞いて、現在の諸国間の力関係の変化を知らされた思いです。というのは、インド(その背後に約100カ国の開発途上国がいるとのこと)、中国は、輸入農産物の急増で国内農業に大きな打撃がありそうなときに緊急避難的に関税率を上げたり、輸入量を制限したりする、「セーフガード」の要件を緩和して貰いたいと要求し、大農産物輸出国のアメリカはどんでもないとこの要求を拒絶したわけです。
WTOではこれまで大手を振ってまかり通ってきた主張されてきた「自由貿易主義」の主張と国内産業保護というギリギリの国益の主張との鋭い対立でした。
これは画期的なことです。
いすれにしても、WTO交渉は少しお休みです。でも、それほど遠くない時期に再開され、妥結に至るという関係者が多いようです。とすると、重要品目問題は勝負がつきましたから、我が国は大急ぎで農業構造改革に邁進しなければならないことは明らかです。
なにしろ我が国の農産物関税品目数(1,332)のうち関税水準が200%超の高関税品目は101,合意案では基準は4%、最大でも6%というのですから約80品目はなんとか保護できるとして、重要品目ではなくなった農産物は7割の関税削減率(つまり3割水準)となるというのですから、いわば丸裸に近い状態で輸入品との競争ということになります。
生産コスト低減のスピードを上げる、このため構造改革を急ぐことが日本農業が生き延びる途だということがはっきりしました。
「今のままがいい〜。ほっといてくれ」とはいきません。
農業界の方々、頑張れ!
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(5月28日書き込み)
(おまじないのような公務員制度改革論に失望)
このところ新聞を賑わすのが、「改革が頓挫」、「政治不況」等々。そして昨日の産経新聞では「公務員制度改革を実現せよ」と題して作家の堺屋太一さんの一文が掲載された。読んでみて失望しました。この一文のうち、総論部分は極めて説得的で、今の官僚組織は「死に至る病」に陥っているから改革すべきだとする点は、作家として一流の堺屋さんの「さすがの表現」です。(問題は具体的な中身なのだが。)
そして、現在の官僚機構の問題点の第1は「長年の業務別縦割り組織と仲間評価の人事で、強固な官僚共同体化している点である」としていますが、この部分は文学的で、本質論を避けてはいないでしょうか。このような弊害が目に余る場合もあるでしょうが、これを具体的に鋭く指摘することが必要不可欠でしょう。
国家行政組織は、民間のように利益至上主義にたって組織を「選択と集中」するわけにはいきません。行政組織は、国であれ地歩自治体であれ、縦割り組織が原則であることは、責任と権限が問われる行政組織の宿命です。
国民の要望がある限り、ほそぼそと組織は残さなければならない場合もあるでしょう。「一隅を照らす」公務員は絶対に必要です。また、行政需要があるからといって、直ちにこの部門を強化できるわけもありません。人、この部門にしっかりとした知見を持った人が相当数必要になりますが、時間がかかします。(エェ!民間から来てもらえばいいといったって、給与水準が2〜3割違っているから、ことはそう簡単ではない。)
本当に30万人にのぼる一般公務員の人事を一括して担う人事庁をつくったら、問題解決するのでしょうか。仕事を具体的にどのように展開するのか説明はありません。それは人事庁を作ってから考えるというのであれば、これはもはや執行不全。
さらに続けますと、堺屋論文の中では、「官僚を身分から職業へ」とか、「環境変化に対応して、真の民主主義、議院内閣制に戻ろう」とか、なかなか立派な文章ですが、具体的でないから、さらに説得的ではありません。
官僚組織の縦割りの弊害を是正するのは、政治家の定められた仕事です。苦労し、労力をしっかりとかけて国民からの不満をしっかりとくみ上げ、個別具体的な事案として委員会で取り上げる、政党内で議論する、有識者と議論するといった課程を採るべきです。政治家はこのプロセスを面倒がっています。
ともかく議院内閣制のもとで官僚をうまく操縦できないからとか、政治の世界ではうまく解決できないから、公務員改革だというのはいただけません。
公務員制度改革といって、なにか赤穂浪士と吉良の話のような「勧善懲悪」の話で済ませるのは愚かな話です。
公務員制度改革と称する法案が発表されたら、国民は無条件で賛成すべきでしょうか。問題は今の国会に提出されている国家公務員制度の法案の具体的な内容です。
「公務員制度改革」で最も長く影響を受けるのは国民です。
公務員制度改革は実証的に進められるべきです。
とここまで早朝に書いてから新聞を見たら、与野党の合意内容にまたビックリ。その内容は、内閣人事庁ではなく、内閣官房に人事局を設置、総合職の一括採用はやめる、政官接触禁止せずなどです。これで百年以上の歴史を持つ公務員制度の大改革内容でしょうか。
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(4月8日書き込み)
(地方の改革は進む)
昨日の日経に「満開の桜の下での「茶番劇」」という記事が掲載されていた。活字を追えば追うほどに現在の政界のだらしなさが明確になってきます。このような惨状を地方の人たちは呆れたり、がっかりしたり、嘆いたり。国政に携わる人たち、特に何が何でも総選挙に追い込むとしている野党の方々は恥ずかしくないのかな。
こんな時期ですが、地方の改革は地味ながらも少しずつ進んでいます
先ず、「道州制」に関する政府の懇談会が中間報告案をまとめつつあり、これによれば2018年までに今の都道府県から道州へ完全移行を明記しているとのこと。明治以来慣れ親しんだ都道府県制を地方分権の見地からより広域の自治体に変えようというのだから、まぁ構想は大きいですね。
また、地方財政健全化法の2008年度決算からの適用に向けて全国の自治体が動き始めました。これも昨日の日経の記事ですが。実はこの法律の制定を私も長い間主張してきたので、感慨も新た。「自治体の財政状態を民間企業並みに連結ベースでとらえ、悪化に早めの手を打つもの」で、勿論、前提として会計基準もかつての大福帳方式ではなく、企業会計に沿ったものでなければならないが、これも新しい公会計基準が導入され始めています。これで自治体内部の人や議会人は早めに政策の見直しをすることが出来るし、外部の者も自治体の財務状況を把握したうえで地域問題を考えることが出来るというわけです。
さらに、このところよく報道されるようになったのが、構造改革特区、地域再生計画、地域ブランド等を活用して地域おこしを進める自治体の出現。ただ、これらは地域格差がひどい。自治体の積極性、創造性の優劣がしっかりとあらわれますから。もっとも、こんな活動を選挙では住民がさっぱり評価してくれていないと嘆く自治体の長も知っています。
この国は、国会議員のおかげで?漂っていますが、変わらないといわれた地方が確かに変わりつつあることを実感します。
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(2月20日書き込み)
(最近の行政改革の方向は本物か)
このところ行政改革を急ぐとして政府側から盛んな議論が出され、マスコミを賑わしていますね。一つは、公務員制度改革であり、いま一つは、食品の問題からの食品表示一本化、消費者庁構想。
しかしながら、これは行政改革に値するものか、強い疑問を感じます。
まず、公務員制度改革ですが、2月5日にまとめられた「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」の報告書も読んでみた。疑問点はいくつもありますが、キャリアー制度の廃止、政治家との接触禁止、内閣人事庁等については特にそう感じます。
何処の国でも国家公務員のキャリアー制度はあるのです。今のキャリアーに腐っている者がいるのなら、国会やマスコミが監視し、速やかにこのような者を辞めさせればいいし、一般に再教育が必要だというのならば、直ぐに取りかかればいいだけのことでしょう。(ノンキャリからの登用のルールが必要なのはいうまでもないが。)30万人にも及ぶ大組織をコントロールする人材層を持たずして国家の運営は出来ませんからね。
政治家との接触禁止を公務員側に強いるのは論外で、政官癒着をなくするというのならば、政治家側でルールを作れば足りる筈です。
まして、内閣人事庁構想は、噴飯ものです。現在の組織(総務省人事局等)でやれないことは何もないからです。
次に、食の問題に関連しての食品表示一本化法の制定、消費者庁構想ですが、法律いじり、組織いじりの感があります。これで消費者の食に対する不安感を払拭できるとは誰も思わないのではないでしょうか。
消費期限と賞味期限があるのが混乱の元だから、消費期限一本としてはどうかという意見が強いようですが、腐りにくい食品類の消費期限は一体どうして決めるのか、消費者は理解してスムーズな対応ができるのか等々、疑問ばかり。まして、製造年月日をあわせて記載させる考えも出ているようですが、こんなことをしたら缶詰類だってなんだって製造年月日の新しいものだけを消費者は買うのは明らか。十二分に食べられるものが続々と廃棄される事態が生じ、随所で「もったいない」、「もったいない」の声が聞こえることになるのではないかなぁ。
今最も必要なのは輸入食料品の水際での検査体制の強化です。この体制が弱体だというのは指摘されて久しいが、「人員増ダメ、行政改革に反する」との理由でこれを阻んできたのが行革論者なのだから、全く皮肉なものです。
行政改革を標榜すれば国民の支持を得られると考えてのことでしょうが、むしろ今必要なのは、国会議員の「行政監視能力」と「政策形成能力」の強化です。現在は決定的に不足しています。だから、上述のような話が出てくるのです。
当面先ずやるべきことは、 「国会議員の公設政策秘書の増員(現在はたった1名)」及び「委員会の審議日の増加(現在はたった週2日)」です。
国会議員の政治力アップのための措置に手を付けず、国民生活に重大な影響を及ぼす問題に機動的な対処するためには官僚機構を変えればいいというのは本末転倒ではないかと感ずるのは筆者だけでしょうか。
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(1月12日書き込み)
(農政の基本路線は変わったのか)
昨年秋からの農政論議には大なる興味と懸念を持ちます。
参議院選挙後その敗因を農政の構造改革路線に求め、戸別農家への所得補償を喧伝する民主党路線に対抗するかのような自民党・政府の対応には、実にいろいろと考えさせられれる点が多いと思います。
これらの論議について細かく論評は避けるとして、今後の農政の路線については、構造改革路線は間違っていないので、継続すべきだが、これまでのように戦後最大の農政改革といった上からの押しつけ的な発言が先行して現場創出・適用型のきめ細かい施策を無視したようなものであってはならないと考えます。
同時に、工程表といった現場無視になりがちな一律のタイムスケジュールは作るべきではないと思います。
ともかく各地域でその地域にあった担い手を育成するとき、推進方策もまた所要時間も区々であるはずなのに、小泉構造改革の華々しい喧伝ぶりに大いに影響されて、やってはいけない現場無視,急ぎすぎをしてしまったのではないでしょうか。
ですから、今回、農水省は、品目横断的経営安定対策の見直しとして、@面積用件を見直し、市町村特認制度を創設して小規模でも熱意を持って営農に取り組む者を加入させる、A単に高齢者であるというだけで担い手として排除されないよう認定農業者の年齢制限の廃止・弾力化を図る、B集落営農組織の法人化などについての画一的指導を改める等を明からにしていますが、これは当然です。
その意味で、この品目横断的経営安定対策の見直しには賛意を表しますが、いずれにしても、意欲ある小規模生産者や高齢者の誇りを無視して一律的な政策を遂行しようとしたり、多様な水田農業を実現するとの視点を看過してしまったため、民主党の戸別所得法案のような日本農業の将来を顧慮しない法案に宣伝戦で負けてしまったと思っています。
ただ、問題はコメ生産調整政策の方です。
コメ生産調整が始まった昭和44年(1969年)から既に40年、私もこの政策の遂行に何度も関わりましたが、生産者自らの経営上の選択ではなく、行政主導の政策は既に破綻しつつあることは10年前でも実感していました。 今採られている政策はそれなりに当を得たものと思っていましたが、ただ、この路線決定は、米生産調整研究会という農水省が口を出さない有識者会議で決定したものですが、、やはり理念先行、現場軽視に陥った傾向が感じられました。といっても、現場からの意見の聴取はかつてないほどの努力をしたようです。それでも現場は「コメ生産調整策はいつも変わるもの」と受け止めていたようですから、19年度から生産者中心の推進体制とし、21年あるいは22年にはあるべきコメ生産の姿を実現しようというのには、現場への政策浸透という点で、やはり時間的に無理があったのではないかと思います。
次に、昨年秋からの米価低落の原因を過剰作付のみに求め、だから生産調整を完全に守らせるのだとというのは、分析不十分だし、これまでの歴史、現場の実態を無視しています。
さらにいえば、生産調整の取組みは、あくまでも個々の生産者がその経営上の判断から行うものでなければ長続きしないことはこれまでの生産調整の歴史が物語っています。これを無視して農村社会の社会的強制を使って生産調整を生産者に強制するのは、厳に避けるべきです。ところが、関係団体の長に生産調整への参加協力するよう誓約書に署名させたという話も聞きますし、流通する米に生産調整協力米のような表示をさせて流通業者にこれ以外のコメの取り扱いを拒否させるような試み等も議論されていると聞き、驚いています。これらの措置によって効果的な生産調整が進むとは実際には思えませんが、実効力がないからやってもいいのだと関係者が思っていたら、肝心の政策への信頼感を失い、生産調整の達成は遠のきます。
生産調整と長く取り組んだ私としては、行政や生産者団体のご苦労は痛いほど感じるのですが、やはり今回の生産調整強化の手法のうち納得できかねるものが多い(一方で、中長期観点からの新規需要米の将来は大変興味があります。)ので、今後の生産調整の進展は非常に気になるところです。
とても書き足りませんが、昨年暮れから心に引っかかっていた農政論を書いてみました。読者諸賢は、如何考えますか。
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